別冊キラン|中国初 識字教育国際セミナー 田島伸二













中国識字の条件と問題点

1982年に中国で初めて開催されたユネスコの識字教育の国際セミナーは、中国の教育史上、画期的なものであった。

当時、中国は大きな歴史の転換期にあった。今日の中国の変化は当時からすれば考えられないことだ。当時見たり聞いたりしたことは、すべて今日の中国の基礎を築いているもののようである。この招請は、バンコクにあるユネスコ・アジア・太平洋地域事務所(ロイ・シン所長)の招請によって行われた。

1982年初秋、私は中国の広州と北京で開催されるこのセミナーに出席するため、香港(九龍)と中国の広州を結ぶ九広鉄道に乗り、窓外に広がる農村地域をくいいるようにながめていた。

田園地帯は限りなく遠く広がり、田んぼのいたる所で人々がせっせと働いている姿が次から次へと目に入ってくる。しかし目に入る風景には、だれひとりとして休んでいる者が見あたらない。まるで、だれもかれも刻苦奮斗の見本版のように見える。中国全土でみんなこのように働いているのであろうかと私は素朴な疑問を持ちつつ、懸命に働いている中国人民に驚かされたのであった。

アジア・太平洋地域の成人教育と識字教育に関する地方活動セミナーは、10月4日から10日間、広州と北京で、ユネスコ・アジア・太平洋地域教育事務所(ROEAP)の主催と中国ユネスコ委員会の協力で開催された。

このセミナーの目的は、中国の各地方の成人教育と識字教育の実際の活動を視察し、実態を把握するとともに、実地活動を行っている責任者と意見の交換を行い、識字教育についての諸問題を討議することにあった。

中国における識字教育の実態についてはほとんど知られておらず、今回ユネスコがこうしたセミナーを中国で開催したことはアジア地域ではもちろん、中国の教育史上、画期的なことで、新聞やテレビが毎日会議の内容について詳しい報道を行った。

会議は、紅いのブーゲンビリアと緑したたる柳の葉が美しく池に映る華南の池、広東省の省都広州で開催された。

参加国は、インド、パキスタン、タイ、フィリピン、バングラデシュ、ネパール、マレーシア、日本の各国1名、計8名が参加した。各国の参加者は局長、次官、元大使経験者といった大物で、しかも識字政策のベテランといえる人たちばかりであった。ROEAPからはサキヤ教育アドバイザーが参加した。

開会のあいさつにたった楊(Yang)中国国内委員会副会長は、「識字教育の進展は、国民の文化や技術を向上させる基礎となり、国の社会経済発展のために最も重要な役割を果たすものだ」と強調し、特に「中国はこれまで識字の分野では多くの業績をあげてはいるが、問題も多々残っており、決して満足できない状況だ。セミナーを通してアジア諸国がそれぞれの経験と知恵を通して相互に学び合うことができるのは非常に重要な意味を持つ」と述べた。

このあと中国の参加者から、中国における識字の状況について説明があった。その中で中国の現在の総人口10億817万人(2008年7月1日現在)のうち、12歳以上の約25%が非識字者であることが発表された。

1964年の調査では38%の非識字率率であったことを考えれば、識字教育は確実に大きく進展していると言える。これは非識字率率が60~80%もあるアジア全地域の水準から考えると非常に高い教育水準といえるが、しかし人口が急激に増加しており、一昨年の1.2%から昨年の1.4%の出生率の伸びは、中国社会に大きな問題をもたらしていることを意味する。

つまり、厳しい人口抑制を厳しく行わないと今世紀には12億人を越え13億人を突破する勢いとなり、国民一人当たりの所得の向上の大きな障害となる。その結果、衣食住はもちろんのこと、教育のレベルアップ上もその影響は大きいので、現在緊急課題として1人子政策を推進していることも報告された。

「識字」という概念の定義は、その国の生活文化の状況によって差異があるが、中国では識字者とは、日常生活に必要な新聞や小冊子などが読める基本用語について、農業労働者ならば約1500語を、工場労働者ならば2000語を知っており、しかも、日常生活に必要なことについて200~300語は書けることが識字の条件になっている。

また、その用語の中味は、地域によって異なっており、南船北馬の言葉どおり、南では船、北では馬の言葉を知っていることがしき識字を意味するわけで、地域の生活と密接かつ機能的に結びついた生活用語を第1と考えている。

また、非識字者の大部分は婦人や、へき地に住む人々によって占められているという。特に中国は文化的、言語的に非常に異なった多民族国家で成りたち、主な少数民族でも54を数える状況は、日本の状況からはおよそ想像もできない環境である。

言語は標準語として北京語を採用しているが、古来の漢字の時数が多く画数が余りに複雑なので、すでに2回の大がかりな簡略化を行ったこと。固有の言語を持つ少数民族の言語は、ローマ字による表音文字の作成が進められ、また識字クラスの初歩の授業にはローマ字が使用されているとのことである。

その後、参加各国はそれぞれ識字事業の紹介を行った。特に中国も含め各国ともに適切な読物や教材が絶対的に不足し、識字教育の大きな障害となっていることが報告されていただけに、センターが新しく開始した農村の新識字者向け資料共同製作事業に対して各国の強い熱意と期待を感じることができたのは実に嬉しかった。

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広州での2日間の全体会議の後、現地視察のため参加者はA・Bグループに分かれた。Aグループは黄河流域の華北大平原に位置する工業都市(河南省)へ、Bグループは、黄河の南5キロの地にある山東省の省都である済南へと出発した。

私はパキスタン、マレーシアなど4か国の参加者とBグループに属し、グループの書記の役を任せられ、上海を経て空路、済南へと向かった。

山東省に到着すると、副省長、教育長など多数の出迎えを受け、山東省の識字事業の現状について詳しい説明を受けたが、実に驚くことに、山東省一省だけでも7,500万人の人口を有しているという。

そのうち6,700万人が農業労働者によって占められているとのことである。済南では、機械工場、ディーゼル・エンジン工場に付置されている高等職業訓練学校、人民公社の中の農業技術学校、生産大隊の中の各種の教育施設や初等教育施設などを視察して回ったが、連日5時起きぐらいの強行軍で、広大な山東省の農村地域を車で移動するので、なかなか疲れる旅でもあった。

しかし、幅広い道路の両側にはどこまでも絶えることなく、かかえこむような植樹が見事になされているのは実に壮観で、計画的に植樹してゆくことが如何に環境を富ますことができるか、また広大な田畑にまるで万里の長城のように伸び切っている無数のかんがい施設を目にした時には、そのエネルギーのすごさと天災に備える古来からの知恵に全く驚嘆させられたものである。

訪問したそれぞれの教育施設では、現代中国が協力に推し進めている四つの現代化に向けて、つまり「農業、工業、国防、科学技術」の進展に向けて学校教育が具体的に歩調をあわせていることがうかがえた。

特に工場の付属学校ではいかに生産を高め、いかに品質の向上に貢献できるかなどの実際的な知識技術を教えることが大きな目的とされ、またフルタイムやパートタイムなど仕事の内容とレベルに合わせて各種のクラスを設けていた。

人民公社などの農業技術学校などでは、作物の品種改良、病虫害の駆除、化学肥料の知識などを通じて生産をいかに多くあげるか、また婦人クラスでは、産児制限をいかに行うかなど、実際の生活に直結した教育活動を行っているのが特徴で、省、県、郡、人民公社などが機能的な関係で結ばれ、それぞれが必要に応じたカリキュラムの開発などを行っている。

1978年から開始された責任生産性の導入で農業労働者などが生産向上のために朝早くから晩遅くまで必死に働いている姿が印象的であった。

識字学校は農閑期や農繁期の時期を考慮に入れて開設され、現場の自主的判断で教育活動を行っていた。

現場の責任者との質疑応答の中で3点の問題点が提起された。第1は先生の数を増し、質をいかに向上させるか。第2は読物や教育資材の調達、第3は教育施設の拡充などであった。

これらは会議の最終日、北京の人民大会堂でセミナーの参加者と文部大臣との会見の際にも強調された点であった。

中国の熱烈歓迎は今回のセミナーの参加者全員をいたく感激させたが、私自身、黄河を横切り、儒教の祖である孔子を記念家で孔子と文化大革命についての話を南京大学長から聞いたりしたこと、古代からの名山である泰山に登る機会を得たことは、実に中国の歴史と自然の大きさを実感する旅でもあった。

万里の長城を築いた中国の人々のエネルギーや農村地域で寸暇を惜しまず働いている人々のエネルギーが、今後21世紀に向けて教育の分野でどのような世界を築きあげてゆくか大きく期待されている。