別冊キラン|大亀ガウディの叫び声 田島伸二












不忍池の湖畔で出逢った海亀

もう30年も前の、ある台風の日のことでした。当時学生であった私は、東京の不忍池の湖畔にあった上野水族館に出かけたことがあります。

台風の日の生き物は、どういうわけかとても自由でワイルドな感じに見えます。外の自然を感じるからでしょう。水族館の中でその時、特別大きな水槽の中で飼われていた一匹の大きな海亀を見たのです。

しかしこれはどう考えても、海亀を見たというより海亀と出会ったという方が適切のような気がします。大亀は目に涙を浮かべているようで、しきりにもがき苦しんでいるように見えたのです。

チラリと海亀の目と合ったとき、私はつい冗談半分に呼びかけてしまったのです。

「大亀さん、いったいどうしました?どうしてそんなに苦しそうにもがいているのです?こんなに設備のいい水族館にいるのにね。私にできることがあったらなにかしてあげますが、どうしたらいいですか?」と。

私は言葉を発せず、ただ目をまばたきさせながら大亀に尋ねてみたのです。するとその瞬間、驚いたことに大亀の目が、電光石火のように輝やくと、すぐに答えたのです。

「なにを馬鹿なことをぬかす。お前は自分自身だって助けられないくせに、他の動物を助けてやろうだと!おれの願いは、ただもと住んでいた大自然の海へ帰りたいだけだ。早く本当の海へ帰りたい!ここから出してくれ!」と答えたのです。     

「えぇー、水族館の外ですか?そうですか、それは困ったな。どうやって連れ出すか。この大きなプールから・・それにどうやって海に逃がしてやるか?」出来もしないのに、とんでもない請負を私がしたことにすぐに後悔してしまったのです。でもなんとかしたい。

そこで私は大亀を水槽から連れ出そうと、すぐに大学の図書館にこもって考え始め、そして長い大亀の物語を書き始めたのです。それが「大亀ガウディの海」の物語を書き始めたきっかけともいうものでした。

しかし、物語りの完成には、あっという間に30年間が過ぎてしまったのです。その間、あらすじもいろいろと変わりました。

最初、大亀は水族館から海に脱出するには成功したが、海が汚れて生きていけなくて、そのまま南の海で沈んでしまったという単純な物語になったりしたのですが、幸いなことに、執筆の最終段階では、大都会の公園の大きなけやきの木の下で、友人の助けを得ながらお話しを完結することが出来たのでした。

そこは大都会の中に残されているオアシスのような林の中でした。毎日、鳥の声を聞きながら、大空に向かって伸びているケヤキの大木の下で、ひたすらに物語を語り続けたのです。

そう、大亀の目を思い出しながら、自然の精霊の助けを借りながら、まさに物語りを編んだのでした。結局30年もかかってしまいました。

「すみません、大亀さん、大変遅くなってしまいました。こんなに時間がかかって申し訳ありません。」

その時には、不忍池の湖畔にあった水族館はすでに遠くに移転しておりました。そしてその大亀がどこにいったのか、わかりませんでした。

しかし確かに言えるのは、海亀の涙に触発されてこの物語が生まれたということです。これも人生の中の大事な出会いのひとつに違いありません。

人間は人間から学ぶと同時に、自然の動植物から学ぶことがたくさんあるのです。どんな生き物も一生懸命に生きようとしている。一生懸命に生きようとしている存在からは、無限に学ぶものがあるのです。

この物語が生まれた背景を考えてみると、私がまだ小学生だったころのこと、1954年に第五福竜丸という静岡の漁船が太平洋のビキニ海域で行われたアメリカの水爆実験で、23人の乗組員全員が被爆し死傷するという事件があったことを思い出します。

原爆で被爆した漁船員の姿を映画で見て、子ども心に大きなショックを受けたのですが、それは1945年に広島で投下された原子爆弾ともぴったりと重なってみえたのです。

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私が生まれたのは、広島市から60キロ離れた三次という小さな町で、幼少の頃より原爆の恐怖や悲惨な話を体験者から聞いて育った世代です。それだけに漁民が死傷したり、被爆した原爆マグロが大量に廃棄されたというニュースは、大きなショックを幼い心で強烈に感じたのでした。

大人が感じる以上に、子どもの心は柔らかくまるでスポンジが水を吸収するように吸収しているのです。喜びも不安も・・・そして感じたのは、原爆とは過去のものではなく、今も太平洋上では実験が行われていること・・・そして人生は夢や希望だけではないと感じたことです。

1960年代は、水俣病やイタイイタイ病など、日本の高度成長経済の下で、次々と深刻な環境問題が発生した環境の中にありました。私は公害で苦しむ人々の気持ちを感じながら成長した団塊の世代に属していましたが、その中で痛感したことは、人間による環境問題で苦しんでいるのは人間だけではない、実は海や陸や空に住む無数の生物や動物の存在もあったということです。

しかし自然の動植物や生き物は、人間のような雄弁な言葉をもっていないので、いつも全身でかれらの苦しみや悩みを表現しているということです。

水俣病で水銀中毒になった子猫が、苦しみの余り踊り狂うさまは実に恐ろしいものでした。北海のあざらしは、廃棄された原子力潜水艦の放射能によって、数千頭が一度に海岸に打ち上げられたり、身近には工業排水によって小川の鯉がすべて死んで白い腹を炎天に向けて流れていくさまなど、日本列島が、春になっても小鳥の歌わない、みみずも出てこない、虫も見当たらない“沈黙の春”がやってきているようでした。

そして、チェルノブイリ原発で起きた大事故は、人間の文明は莫大なエネルギーを得ようとする余りに、危機的な文明の絶壁に立っているという警鐘でした。

そして21世紀に入ると、環境問題は、あっという間に地球全体を覆いつくし、細胞の隅々まで汚染され、しかも氷が溶け始めて追いつめられた北極のアザラシや鯨は生存を求めて大海洋を彷徨い始めたのです。

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1995年、太平洋8カ国のユネスコの図書開発会議を開催するため、フイジーに行ったとき、南太平洋大学の学長コナイ・ヘル・タマンという人類学者に出会いました。

“大亀ガウディの海“の本を贈呈すると、彼女は一晩で読破し、「今日の環境問題や核問題を考えると、この本は太平洋のすべての国の人々が読まなければならない必読書だと思います。これは太平洋を決して核の廃棄場にしてはいけないというメッセージです。海を汚してはいけないのです」と力説されました。ちょうど同年には、フランスが、太平洋のムルロワ環礁で核実験を強行しようと画策している時期でした。

私は、フイジーから帰国すると、すぐにフランスのシラク大統領に、この本の英語版を抗議書簡とともに送ったのです。

「シラク大統領殿、貴殿の言われるように核実験が人畜無害だと言われるなら、今回の核実験を太平洋の美しい環礁でやるのではなく、なぜパリの凱旋門やエッフェル塔の地下でやらないのですか。それともフランスの旧植民地の人間は、焼いて食おうと、煮て食おうと、すべてフランスの自由だと言われるのですか」と尋ねました。

しかしその答えとは、美しい太平洋の環礁に放射能まみれの大きな陥没を作ることに成功したニュースでした。サンゴ礁が高度の放射能で汚染されてしまったのです。

核実験は、このあとも中国、インド、パキスタン、北朝鮮と続いており、そして核大国のアメリカは、現在でも臨界内核実験を数十回も強行しているのです。そして、中国やインドをはじめ、経済活動が活発化し始めたアジア地域では、環境破壊の中で貧しい人々はますます貧困に追い詰められ始めたのです。 

しかもこれまでは汚染の有様を目や感覚で把握することが可能だったのに、今日では目には見えない遺伝子操作や染色体の移し変えという新しい環境問題も浮上してきているのです。こうした状況の中から生まれた「大亀ガウディの海」の物語は、恐らく追いつめられた海の生物から頼まれたものではないかと思ったぐらいです。

そして、この物語の最初の本は、リアリティと想像性を駆使したイラストを描いた田島和子による英語版をもとに、アジアの国々では、14カ国の14言語の翻訳で出版されていきました。

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驚いたことは、核実験を行ったパキスタンでは、ウルドゥー語で翻訳出版されたこと、現在、核疑惑で揺れているイランのファルシー語で、テヘランで出版されたことです。

それぞれの国には環境や核について苦悩する人々がたくさん存在しているのです。韓国では、北朝鮮の核問題に関連して大きな話題となり、この物語は4社からそれぞれ違った版で刊行されていますが、初版について東亜日報は、その書評に次のように記しています。

「我等は自らを万物の霊長といいながら、もっぱら人間だけの発展に力を傾けてきた。便利な時代に住んでいることを、一日に何度も実感する。お互いに便利な環境を占めようと人間たちは、絶え間なく文明を発達させたが、代わりに得た結果とは、道理なき自然環境の破壊であった。

大亀ガウディの海(初版・精神世界社刊)を読みおえて、我等は文明の発達に絶え間なく驚嘆し、それが与える便利な生活方式を葛藤なしに受入れてきたが、もうこれまで満足してきた幸福をこれ以上享受することはできないことがわかる。

もちろん世界の一部では、既に宇宙の摂理を自覚し、人間は宇宙において、そのごくごく一部であるとの認識が芽生えていることも事実ではあるが、それをこのように鮮明で単純な話として描くことができるというのが、驚くべきことである。

30年間水族館に住んだ大亀ガウディがもどった海は、その間に既に生存を圧迫されるほどに汚染されていた。かろうじて探し出した場所が、南太平洋のスーリヤ海、そのスーリヤ海で人間が核実験をすることを知り、ガウディは自分の身を投じて核実験用の電線を切断する。

十五夜の月光をたっぷりと浴びた美しい南太平洋の波の中で子亀たちが、ガウディが黄泉の世界に旅立ったスーリヤ海に向かう場面では、感動で胸が濡れるのを覚える。

サン・テグジュペリの「星の王子さま」が、人間の心性にむけて幸福の定義を具現する童話であるならば、「大亀ガウディの海」は、宇宙の摂理の中で我々が一緒に存在しえる時に到達する事ができる人間の真実を反芻させる大人の童話である」

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また、ベトナムでは、ハノイにあるベトナム国際政治外交学院のグエンニュン(Nguyen Nhung)さんが、「環境破壊に直面しているベトナムの海亀の保護における国際協力の役割」の論文の中で次のように記しています。 

「ベトナムの長い海岸を故郷にしている、何万匹もの大海亀の多くは、現在、自然の脅威ではなく、人間の脅威によってその生存が脅かされています

かれら生物の生息地は次々と破壊され、地球上では深刻な環境汚染が急速に進んでおり、これまでの歴史にはなかったようなスピードで、毎日生物の多くの種が滅んでいっています。

ベトナムでは、環境破壊から重要な生物を救うために環境保護団体に協力して、環境保護への努力を続けようとしています。

私たちの環境を保護するため努力を傾けている人はだれでも海亀に関する素晴らしい物語を書いた作者に感謝を捧げたいと思います。

この物語を読んだ人は、彼の家族を守ろうと大都市から大海洋に戻ろうと必死に努力して困難な旅をするガウディという海亀を忘れられないことでしょう。

私は、大亀ガウディの偉大な犠牲によって多くのことを学びました。これによってベトナムの海亀に関して論文を書こうと決めたのです」

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30数年前の台風のある日、水族館で一匹の大亀の苦しむ様子と出会ったことから書き始めた物語が、こうして現在、世界中で読まれ始めているのは非常に嬉しい気持ちですが、海洋や大気汚染はますます深刻化しているのが悲しい現実です。

地球の温暖化現象は、あっという間に全地球上の深刻な政治課題になってもいるのです。ニーチェが言うように、「地球は病んだ皮膚をもっている。それは人間の存在である」という課題に真剣にとりくまないといけない。

人間はなぜ自然を破壊する存在であるのか。